KIRAKUの気楽な福祉生活 3

こんにちは。

 昨日書いた内容で、もうちょっと筏の場面で細かく書きたかった。です。

7月の海の上の筏の上って、かなり暑くて、経験の少ない自分たちは、まあ楽しめれば良いかなって単純に思っていたんですよ。

そんな中で、調子の悪い人が出たらどうしようか。岸まで船で10分は掛かる。

KIRAKUの親父は血圧も高く、今から思えばそんなところは危ない場所に他ならないと思えるのだけど、その時は分からなかった。

海の上の筏の上で調子が悪くなったらどうするなんて、行く前にちょっと考える事が良いかもしれない。そんな事もこれから、発信でいたらいいのかなって思っています。

 この時には、運よく弁当を配っていた遊漁船に乗せてもらって、岸まで行くことが出来たけど、それがなかったらと思うとぞっとします。

岸に岸に着いたのは良いんだけど、船着き場から崖の上の小屋まで登りで20mくらい。

体重70kgの親父を担いで上って、救急車が来るのを20分くらい待ったんですよ。

その重さと、どうすりゃあ良いんだ。と思いがいっぱいでしたね。

 と、ここまでちょっと付け加えました。

何とか救急車で運ばれて、地元の病院では何もできなくて、街の病院まで約2時間。ICUに入って、その後一般病棟に移ってきました。

平日は母親が、3時間かけて面倒を見に来て、週末はKIRAKUが交代で面倒を見ていました。まあまあ大変でしたよ。

 元々、頑固で自分では何もできない親父の世話は本当に大変でした。なんでこんなところに閉じ込めるんだ、早く外に出せ。退院まで1か月、脳内出血で半身言うことが効かないのに、片道3時間かけて通っている我々に本当に言いたい放題。母親は本当に苦労していました。こんなところに私の福祉生活の始まりがあったのかも。

 入院中は、病院の近くの部屋貸し民宿で部屋を借りて、毎日の病院通い。いやいや大変な日々でした。KIRAKUは近くのめちゃくちゃおいしい餃子屋さんで一杯が唯一の楽しみでした。

 何とか退院の許可が出て地元の病院への転院をすることになりました。KIRAKUが運転するライトバンに乗せて地元の病院へ。

本当にこれからだったね。また、次に書きます。