焼鳥 喜多さん物語 始まり1

 大体5年前の冬かな、母親の病院に見舞いに何度も通った通りにこの店はあった。

前を通る度に、ちょこ、ちょこっと覗いてみるだけで入る勇気が出ない。

店の看板にもあるように焼鳥を食わせてくれるお店のようだ。

年季の入った暖簾、破れた庇のテント。

ちらりと覗くと、年配の常連客達が楽しそうにビール瓶を傾けている。

店頭の炭火で焼いている焼鳥の煙が辺りに流れ、甘辛い香りが立ち込める。

素通りするには相当の勇気が必要なのだが、それでも、ちょっと一人では入り

辛い店構え。

 カウンターだけ、10人程度で一杯になるであろう客席は、ほぼ満席と賑わって

いた。

周りを見渡すと、この通り、かつては結構賑わっていたかのように、居酒屋が数点

看板を揚げている、でも既に閉じていたり、とても繁盛しているようには見ること

はできない店が多い。

何故か、ここだけが賑わっているように見える。酒好きの自分には輝いて見えた。

これは、只者ではないなと、煙の臭いに惹かれれて入ってみた。

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 入ってみると、事前の偵察の通り、カウンターに丸椅子が10却程度。

既に8割程度が埋まっている。冬にも関わらず、温かそうな雰囲気。

ボヤっとしていると、"こっちに座って"と母親みたいな女性が座る場所を決めて

くれた。隣には70代位の男性がうまそうにビールを飲んでいる。そのまた向こうにも

同年代の男性が居て、隣の男性と楽しそうに話をしている。

"酒、ビールどっちにする"と声をかけてくれたのは、炭火の前で焼鳥を焼いている

ちょっと小柄で、華奢な感じの男性。80代位かな。よく通る高めの声で訊ねて

くれた。

 "とりあえずビール"とお決まりの返しをしてから、店の中を見渡して、ちょっと

観察してみる。予想の通り、中々の年代を感じさせる雰囲気。煙で燻されたであろ

壁や天井は、かつて祖父の田舎の家に行ったときに見た囲炉裏のある部屋のようで、

褐色に染められていた。

 壁には、メニュー? お品書き?が張ってあり、10品ほどのネタが書いてあった。

どうも、これが全てのようだ。"何があるの"なんてワザとらしく聞いてみると

"ここに書いてあるでしょう。これで全部"と、予想的中。

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 隣の男性たちからも"これでいいんだよ、ここは"とフォローが入ったところで、

"えっと、とんやき、きもやき、ねぎま・・・"左から順番に行ってみることにした。

f:id:KIRAKU_shoten:20201115213043j:plain(写真は熱燗)

程なく、串に刺された焼鳥たちが皿の上に置かれた。

先ずは、"とんやき"から。ビールを一杯に飲んでから、一口。

たれの甘辛さと、炭火焼き立ての香ばしさが口に広がり、"これは中々のもんやな"

と小さく頷いて、次々と進めていった。

気が付くと、串の数は10本以上、ビールも大瓶で3本とまあまあな成績となった。

"これは良いところに入ることが出来たな"と我ながら感心して、本日は終了とした。

これで、病院の見舞いも苦にならなくなるかな。

これから、毎週2~3回通い詰めることになってしまった。様々な人間模様もあり、

事件もありで楽しい酒ライフが始まる。

これから小出しで・・・・

 

視覚障害(弱視)の人はこんなものが見えにくい?

 こんにちは。

投稿するのも久しぶりです。

先日、視覚障害(弱視)の人たちと話す機会がありました。

視覚に障害のある方たちがPCの操作を練習する集まりに参加させて頂きました。

こんなご時世なので、直接会って話すのではなくて、ZOOMで皆さんと話すことに

なりました。

 PC越しに話していると、皆さん積極的に明るく話されるので、とても障害を

お持ちだとは気づかないほどです。

その中のお一人が、

「プリンターで黒い紙に白いインクで印刷することはできますか。」

「どなたかわかる人はいますか。」と問いかけられました。

他の大体の皆さんは、「一般的なプリンターはイエロー、マゼンタ、シアンの

3色に黒を入れた4色で印刷するよねー」「白は紙の色だよねー」の意見でした。

私も同様に「そうだね」と返しました。

 「どうして、そんな事を聞くんですか。何か困った事でもあったんですか」

と問いかけると、「ボヤっとしか見えなもので、白地に黒文字だとチラチラして

見えにくいんだよね。カレンダーを見ていると同じような数字が並んでいて

何だか判別がつきにくいんだ、黒い紙に白い文字の方がパチッとして見易い気が

するんだ」

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               ちょっと写真が悪いね

一同「おー、自分もそう思う」

それから、印刷の話になって、「オフセットでも白のインクはないね」

シルクスクリーン印刷で白のインクを使えばいいんじゃあない」

「やけに詳しいですね」「いや、元印刷屋だから。目が悪くなるとやってられなく

て、やめちまった」「そら、そうだね」

「ところで、カレンダーの印刷って、何冊作るのかね」

「1冊あればいいよ。プリンターだと黒インクをいっぱい使うから」

一同「えー」で大笑い。

「じゃあ、プリナターのインク方が、印刷の版をつくるより、遥かに安いよ」

それから、みんなで「こうした方がいい」「ああいた方がいい」で

盛り上がりました。

私のアイデアは、百円ショップで見つけたこいつ。

毎日飲む薬を入れて管理するポケット付きカレンダー。

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曜日を入れ替えるだけの万年カレンダーに見えるかな。

当日は皆さんにお見せできなったのは残念でしたが、次の機会にご披露です。

意外なものが見えにくくて困っていて、それを何とか工夫しようとしてる

所に、二度びっくりでした。

皆さん、非常に明るくて楽しい会でした。

次が楽しみです。

それでは、また。

茄子の表面かさかさ。日焼けみたい。 

こんにちは。KIRAKUです。

ちょっと久しぶりに書いてみます。

気楽な福祉生活なのに、コロナ自粛で家庭菜園にはまっちゃいました。

5月にリモートワークに飽きて、茄子、キュウリ、獅子唐、オクラ、トマトの

苗をホームセンターで購入して庭の端っこに植えてみました。(先回書きました)

リモートワークの合間に見よう見まねで支柱を立てたり、肥料をやったりして

伸びるのを楽しんでいたら、キュウリとミニトマトが伸び放題状態。

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 剪定の仕方が分からずに放置して置いたら、このありさま。

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キュウリは沢山身を着けるので、毎日浅漬けにして食べています。

 実は、一番左に茄子が植えてあるのですが、畝の間隔が狭くキュウリに押されて

分かんなくなっています。

この茄子、実はつけるのですが、中々うまくできません。表面がかさかさで、なん

だか日焼けしたみたいです。

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 NETで検索してみると、肥料のやりすぎとか、葉っぱでこすれているとか出て

いますが、理由がわかりません。少し大きくなったら、皮をむいて食していますが、

自分としては、皮ごと麻婆豆腐とか、浅漬けとかでビールを飲みたいのです。

この状態だと、皮ごとは硬くて食べれません。

なんの知識もなく、適当に始めたのがマズかったですかね。

ひょっとしたら、秋茄子ごろにはよくなっていることを期待しています。

良い対処法があれば教えてもらいですね。

 まあ、キュウリのジャングルの中で毎日収穫出来ているので、何となく満足して

います。ミニトマトもジャングル化してきていますが、赤い実もできてきているので、

楽しんではいます。

 あとは、茄子。きれいにできるといいんだけど。

 キュウリとトマトの剪定もどうしたらいいのか。自分で考えろですかね。

 

 ちょっと話を本線(最初のブログの話題)に戻しますが、8月からは司法書士の資格

試験の学習も始めます。今ある社会福祉士の資格と合わせて、個人事務所の開設を

考えています。ぼちぼちやっています。よろしく。

 

 

KIRAKUの気楽なブログ 家庭菜園編2

こんにちは。

先回紹介したちょこっと家庭菜園の続き。

1週間でこのくらい。キュウリの成長は驚くばかり。小さなキュウリもちょっと

見え始めました。ミニトマトも花が咲き、小さな球がちらほら出来ています。あと

1週間くらいで赤くなるかね。

有機肥料を根元に少し振りかけて、盛り土も少しかけてみました。

収穫が楽しみです。

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 今年は新型コロナウィルスによる外出自粛や県外移動の自粛為に外にも出れず、

家庭菜園なんてのも始めて見ました。それでも天気の良い日はジリジリして時間を

持て余してましたね。梅雨に入ってからは増々滅入っちゃっていました。

先週末に県外移動の自粛解除が出て、やっと大手を振って外出ができることになり

ました。そんなところで、昨日の晴れ間を狙ってちょこっと走りに行ってきました。

写真は県境の道の駅の風景で、左から2台目がKIRAKUの相棒です。

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天気が良かったせいもあって、かなり集まってきていました。行き帰りの道でも

多くのライダーとすれ違いました。

みんな、おんなじことを考えているな。

 中々、福祉生活に戻れませんが、次回ちょこっと触れます。

 

 

 

KIRAKUの気楽な福祉生活 最近2

 

こんにちは。
 緊急事態宣言も随分前に解除されて、第2波が心配されているのに気が緩んだのか、またまた書き込みを少し開けちゃいました。

 まだ、何をやるのか考えている最中なのですが(福祉生活)、中々決めかねています。

そんな時に家庭菜園なんてのを気楽にはじめちゃいました。唐突ですが。

 左からナス、キュウリ、獅子唐、おくら、ミニトマト、一番奥がニラ。

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 KKIRAKU_SHOTENブログの一番初めに書いた親父が好きで、よく手伝わされていました。その時には臭いし、虫はいるし、汗だくになるしでいやいややっていました。

親父のは、この10倍くらいの範囲でやっていたので、まあ無理はないかと思うのですが。見よう見まねで始めました。これ、うちの裏庭で、モミジやツツジなんてのが植わっていたんだけど、じっと見ているだけというのは、なんだか面白くなくて半分だけ切ってしまいました。根っこを掘り起こしてみたら何か植えたくなって、ホームセンターに行ってみたら何だかやりたくなって、苗を買ってその日のうちに植えていました。

 それ以来、在宅勤務でずっとうちにいるせいもあって、YOUTUBEなんかで仕立の方法や肥料のやり方なんて調べて、え、そうなの、って思いながらナスやらキュウリやらトマトがなる日を待ち望むようになっています。まあまあ面白いです。誰か教えてくれるとありがたいなあと思っていたりするけど。そんなレベルでは未だないね。

 まあ、ブログのネタになるように観察して、記録行きますよ。その内に、こうした方がいいんじゃない、なんて言ってもらえるように頑張ります。何ができるか楽しみにしていて下さい。

 今後の福祉活動の為になるかも。死んだ親父(未だそこまで話が進んでいなかったな)にも少しは顔向けできるかな。ちょっと気晴らしが出来たので、本業の方を考えます。

 次回は、KIRAKU SAIENとちょっと活動に触れようかな。

KIRAKUの気楽な福祉生活 最近1

こんにちは。

 緊急事態宣言による自粛ではないのですが、書き込みを少し開けちゃいました。

KIRAKUの今の福祉生活のルーツなんて書くつもりでしたが、あまり面白くないので、今何をやっているのかをちょっと書いて、時々思い返そうかと考えました。

 実はKIRAKU、今年2月の社会福祉士国家試験を受験したのです。合否発表は1か月半後の3月中旬。あまり自信のなかったので、物凄く長く感じたけど、結果は何と合格でした。合格率は29%くらいだったかな。しばらくは余韻にしたってニヤニヤしていました。50代後半のおやじのチャレンジとしては、よくできたんじゃあないかな。今回のチャレンジについては、今後のネタにします。

 福祉を自分の活動テーマにしようと考えてから福祉用具専門相談員、福祉住環境コーディネータ2級とトライしてきて、社会福祉士で一区切りと思っていました。さあ、これから何をしようかと思って、ちょこっと調べていますが、決めかねている状況です。

 まあまあ気楽に考えています。現在ボランティア活動などを行っていて、そこから何処へ行こうか考えているところです。

 日本も外出自粛など大変な状況です。両親の介護経験から始めた活動ですが、これまで又これから得てゆく自分の経験やら知識が世の中の困った人たちの役に立てればよいかなと思っています。これからの活動については、考えながらやっていますので、この日記ブログにバラバラと纏まりもなく書き込んでゆきます。

 

KIRAKUの気楽な福祉生活 3

こんにちは。

 昨日書いた内容で、もうちょっと筏の場面で細かく書きたかった。です。

7月の海の上の筏の上って、かなり暑くて、経験の少ない自分たちは、まあ楽しめれば良いかなって単純に思っていたんですよ。

そんな中で、調子の悪い人が出たらどうしようか。岸まで船で10分は掛かる。

KIRAKUの親父は血圧も高く、今から思えばそんなところは危ない場所に他ならないと思えるのだけど、その時は分からなかった。

海の上の筏の上で調子が悪くなったらどうするなんて、行く前にちょっと考える事が良いかもしれない。そんな事もこれから、発信でいたらいいのかなって思っています。

 この時には、運よく弁当を配っていた遊漁船に乗せてもらって、岸まで行くことが出来たけど、それがなかったらと思うとぞっとします。

岸に岸に着いたのは良いんだけど、船着き場から崖の上の小屋まで登りで20mくらい。

体重70kgの親父を担いで上って、救急車が来るのを20分くらい待ったんですよ。

その重さと、どうすりゃあ良いんだ。と思いがいっぱいでしたね。

 と、ここまでちょっと付け加えました。

何とか救急車で運ばれて、地元の病院では何もできなくて、街の病院まで約2時間。ICUに入って、その後一般病棟に移ってきました。

平日は母親が、3時間かけて面倒を見に来て、週末はKIRAKUが交代で面倒を見ていました。まあまあ大変でしたよ。

 元々、頑固で自分では何もできない親父の世話は本当に大変でした。なんでこんなところに閉じ込めるんだ、早く外に出せ。退院まで1か月、脳内出血で半身言うことが効かないのに、片道3時間かけて通っている我々に本当に言いたい放題。母親は本当に苦労していました。こんなところに私の福祉生活の始まりがあったのかも。

 入院中は、病院の近くの部屋貸し民宿で部屋を借りて、毎日の病院通い。いやいや大変な日々でした。KIRAKUは近くのめちゃくちゃおいしい餃子屋さんで一杯が唯一の楽しみでした。

 何とか退院の許可が出て地元の病院への転院をすることになりました。KIRAKUが運転するライトバンに乗せて地元の病院へ。

本当にこれからだったね。また、次に書きます。